「「私の家は山の向こう テレサ・テン十年目の真実」有田芳生(文藝春秋)」読みました!

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 我的家在山的那一邊

 1989年5月27日の午後3時過ぎ、香港ハッピーヴァレー競馬場で行われた民主化運動支援12時間マラソンコンサート(主催者/演芸界支持愛国民主運動委員会)において、テレサ・テンさんは この歌を熱唱した。 そのあとの6月3日から4日にかけて、北京市中心部に進駐した戦車部隊は全世界に衛星中継される中で 天安門から毛主席紀年堂方向にすすみ、抵抗する学生を、天安門周辺で当局発表で319人殺害した。 1997年春の田紀雲全人代常務副委員長の非公式発言では、北京を含む21都市で学生・市民と当局の衝突で1万6千人余の死傷者が出たという。(死者は公安関係者で50人ほど、学生・市民で800人ほど)
 このテレビ中継の結果、「中国共産党による学生・市民の虐殺」イメージが世界中に広まり、中国は国際的に孤立した。 この天安門事件を テレビで見てから、テレサ・テンさんは歌う気力がなくなり、1995年5月8日午後5時30分頃 タイ国チェンマイのノーピンホテルで亡くなるまで あまり 大きなコンサートで歌うこともなくなった。

 このテレサ・テンさんについての、噂やテレビ/週刊誌のいい加減な報道について、フリー・ジャーナリストの有田芳生さんが 10年間丁寧に関係者に取材して裏づけをとり、テレサ・テンの真実を まとめられた。1989年5月27日録音のテレサ・テンの熱唱がCDになって付いている。

 本の目次は、以下のとおり。

第一章       思い出の余白
第二章       ふたたびの
第三章       時の流れに身をまかせ
第四章       悲しい自由
第五章       冬のひまわり
第六章       春を待つ花
あとがき

  テレサ・テンさんは、凛としてまた親しみやすい歌唱力で 「アジアの歌姫」としての圧倒的な人気を持っていたのに、なぜその立場を捨てて 民主化運動の支援にのめり込んだのか? 日本語の歌だけ聴いていても理解が困難だ。彼女は、いつでも「チャイニーズ」であって「タイワニーズ」ではなかったことに、有田さんは気づく。家族の住む台湾は、彼女の仮の住まい、祖父母の地である、河北省大名県鄧台村が 彼女のふる里だった。大陸から台湾へ逃れた蒋介石軍の兵士を父とし、外省人として生まれた彼女の祖国中国にたいする思い入れの深さには 驚くしかない。 その祖国が、天安門事件の武力弾圧を正当化し、事件の再評価をしないことに 彼女が絶望し悲しんでいたことは、理解できる。 テレサ・テンさんの生涯は、一人の歌手の生涯としてまとめきれるものではなかった。

 有田さんの取材力/分析力とテレサ・テンさんの生涯に対する思い入れの深さに感動しました。
また 中国の民主化が進み、テレサ・テンさんの望んでいた時代が到来することを 願いたいと思いました。


   参考ホームページ :  

   文藝春秋   http://www.bunshun.co.jp

   

   本屋さんbk1     http://www.bk1.co.jp/p-takase-k47303/









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  • 『私の家は山の向こう テレサ・テン十年目の真実』 有田芳生 著 

    Excerpt: 私の家は山の向こう―テレサ・テン十年目の真実有田 芳生(ありた よしふ)文芸春秋... Weblog: 天網快快 racked: 2005-07-04 11:26
  • 『私の家は山の向こう』

    Excerpt:  実はテレサ・テンの「つぐない」は結構好きな曲です。テレサ・テンの歌声はすごく優しくて伸びやかで、きれいですよね。  彼女が中国と台湾の間で政治的に利用されてしまった事、天安門事件の時の事など、はじ.. Weblog: カラダよろこぶアジアめし racked: 2005-08-13 22:14
  • テレサ・テン

    Excerpt: 去年ですが、「テレサ・テン 没後10年 追悼 i n 台湾」というイベントに参加しました。 http://www.knt.co.jp/tyoec/teresa/ 旅行期間は2005年5月7日(土).. Weblog: 娯楽の殿堂 racked: 2007-02-12 17:36